未分類

[書評]『忘れられた巨人』(カズオ・イシグロ著)

カズオ・イシグロさん、ノーベル文学賞受賞おめでとうございます。ということで、前に別のところに書いた『忘れられた巨人』の書評をあらためて掲載しておきます。書評の出来不出来はともかく、小説じたいはとても面白いし、今日的なテーマを扱っているので是非みなさんに読んでいただきたい本です。


人気TVゲーム『ドラゴンクエスト』はご存知の通り正真正銘のファンタジーである。プレイする者を剣と魔法の王国へと連れ去り、ひととき現実を忘れさせてくれる。古の世界で主人公が騎士や戦士と出会い、竜を倒すため旅をするというカズオ・イシグロの新作長編『忘れられた巨人』の大筋は一見『ドラゴンクエスト』のようだ。しかしこちらは、現実を忘れさせてはくれないし、それどころか、この世界で現在進行形の深い問題を読者に容赦なく突き付ける。

アーサー王がブリトン人を率いサクソン人を撃退、平定された後のイギリス。老夫婦、アクセルとベアトリスは小さな村で肩を寄せ合い暮らしていた。二人には気がかりなことがあった。自分達も含め周りの人々が過去を忘れ去っていく病にかかっているようなのだ。二人には息子がいたらしいのだが、その顔さえ思い出すことができない。ある日ふたりは旅にでる。息子を探すため。そして自分たちが紡いできた時間の記憶を取り戻すため。道中、三人の道連れに出会う。一人はアーサー王の甥で礼節を重んじる老騎士。一人はサクソン人の強靭な戦士。そして、鬼に襲われていたところを戦士に救われた勇敢な少年。度重なる危機に遭いながらも旅を続けるうち、人々の「健忘症」の原因はクエリグという雌竜が吐く息だということがわかってくる。仲間が揃い、敵の正体もわかった。憎き竜を倒しに、いざ!・・・と、こうみればやはり王道のファンタジーだが、それらはブッカー賞作家である作者が巧妙に選んだ道具立てであり、もちろん単なる血沸き肉躍る冒険譚では済まさない。

不穏な過去をもつらしいアクセルとベアトリスだが今は仲睦まじい。また、かつて血で血を洗い争ったふたつの民族が一見安定を保ち暮らしている。どちらも記憶を雌竜という装置によって覆い隠されているのだ。そのようにして在る「愛」や「平和」は真実だろうか。過去は覆い隠されても消えることはない。もし雌竜が消滅したらその時、ふたりは、世界はどうなるのか?

ある神父に、暗い過去は隠されたままのほうが良いのではないかと問われたベアトリスは言う。「二人の分ち合っていた大切なときを思い出したいのです。それを奪われたままでいるのは、夜中に泥棒に、大切な宝を盗まれたのと同じです」。かくして老夫婦は竜のもとへ向かう。しかし、全員が「愛」のために竜を目指すわけではない。他の登場人物たちはそれぞれに切実な別の目的を隠しもつ。

本作には竜の他にも悪鬼や獣、妖精など登場人物を襲う数々の得体のしれぬものたちがでてくるが、真に恐ろしい のはそれらではない。作者がこの物語で描き出す最大のモンスターは「記憶」=「忘れられた巨人」なのだ。それは愛の証にもなれば憎しみの碑にもなりうる。

辛い争いの記憶を受け容れ、愛を育むのか、それを餌として憎しみを肥大化させるのか。リアルな戦場とは無縁に生き、それがもはや映画や小説のなかの「ファンタジー」と化してしまった多くの読者に向け、作者があえておとぎ話的な設定のなかに非常にシリアスなテーマを込めたのは、「現実と地続きのファンタジー」として読ませることにより、もはやそれはファンタジーではなく鼻先にリアルに存在する問題なのだと知らしめたかったからではないか。

私はこの本を今の日本の話として読んだのだ。近隣の国々と、戦時の遺恨もからみ過去最悪ともいわれる外交関係となっている現在、本作に込められたテーマは現実として向き合わざるを得ない状況だからだ。M

2017-10-06 | Posted in 未分類Comments Closed